大阪市西区のアンチエイジング専門サロンならseeface(シー・フェイス)のエステティシャン紹介
esthetician
エステティシャン
- 斎藤 寛子(さいとう ひろこ)
- エステティシャン、美容インストラクター歴6年
- 生年月日 9月生まれ
- 星座 乙女座
- 血液型 A型
- 好きなこと 美肌磨き/ホットヨガ/お酒/カラオケ/買い物/おさんぽ
↑幼少期です。
その養成所では表現をする楽しさを知り、気付いたら小1〜高3までの11年間も役者の卵としてお芝居をしていました。
当初は「お芝居で食べていけるようになる。死ぬまでお芝居を続ける!」と真剣に夢を追っていました。
子役から大人の人たちとお仕事をしていく中でお芝居の厳しさと素晴らしさをたくさん学びました。
その後、学校で認定エステティシャンの資格を取得し、21歳でエステティシャンデビューをしました。お肌の悩みを抱えられていたお客様が来店される度に綺麗になられていく。
そしてこう仰ってくださいます。「始めの頃と全然違う。化粧のりもお肌の触り心地もとても良くなって、嬉しい。ありがとう!」その言葉が嬉しくて、エステティシャンになって本当に良かったなと心から思いました。
3年間エステティシャンをしていく中で、感じます。「お客様の為にもっとサービスをして差し上げたい。こんな事ができれば、あんな事ができれば、、もっと喜んで頂けるのに。。。」そんな欲望が生まれました。
ですが、雇われている身としてなかなか思い通りには動けず頭打ちする状態でした。
「自分でお店をしたい!」そんな気持ちが芽生えてはいたものの当時はまだ24歳で経営ノウハウも自分に自信もない状態でした。将来的にお店を出す為に学べる環境でお仕事がしたい。と思い次に勤めたのが美容インストラクターです。
実際の販売員、エステティシャンの方へ美容の知識、販売方法、エステの手技などを教育するお仕事で先生と呼ばれる立場として人一倍学ばせて頂きました。
エステティシャンの頃だけでは学べないことを学ぶ事ができ私にとって大きな財産となりました。
↑美容インストラクター時代。
オンラインイベントでのショット。
大阪で生まれ、
兄、妹の三人兄弟の真ん中で育ちました。
小さい頃は目立つことが大好きで、鏡に映る自分と会話をしていたそうです(笑)。
そんな私を見て母は子役の養成所に私を入れてくれたのです。
↑子役時代、10歳の時です。
舞台森光子さん主演『放浪記』にて、森光子さんとのお写真です。
高校3年生になったある日のこと、兄の仕事の関係でたまたまエステ招待チケットを渡されました。このエステの招待チケットが私の人生を大きく変えるなんて、この時は思ってもいませんでした。
人前に立つ仕事をする上で、肌はとても大切だと思い、生まれて初めてのエステを受けました。
「え?何これ?お顔をマッサージされるってこんなに気持ちいいの?たった1回のエステでもこんなにお肌って変わるんだ!」私は感動しました。
初めての世界に触れて、少し大人になれた気がしました。エステを受けた帰り道、ずっとテンションが高かったのを今でもおぼえています。
当時の私はスキンケアには無頓着で、クレンジングすらしていませんでした。このエステをきっかけにスキンケアというものを覚え、エステティシャンの言う通りにホームケアを行いエステに通い続けました。
ホームケアの時間も至福の時でした。ローションのフタを開ける瞬間や、お肌にハンドプレスする時のあの感覚。。。
エステに通う度に自分のお肌が綺麗になっていったのです。りんごほっぺのように赤かった頬や、カサカサの乾燥肌がどんどん改善されていきました。
その結果、親や友人にも「なんか肌キレイになったやんな?」と、褒められるようになりました。そのことがとても嬉しくて、気が付くとエステサロンに通うことが私の月一の楽しみになっていました。
変わっていったのは、お肌だけではありません。不思議と、考え方も変わっていったのです。
「エステティシャンってどうやったらなれるんだろう。私も女性のお肌を綺麗にしたい。女性の人生を輝かせたい。」そう強く想い、エステティシャンへの道へ進むことを決意したのです。
11年間、あれだけ必死に目指していた役者ではなく、エステの道にいきたいと思う自分の心の変化にはビックリしました。兄が偶然渡してくれた招待チケットは、偶然ではなかったんだとも感じ、兄にはとても感謝をしています。
そして2020年、日本にやってきたコロナウイルス。
今まで通りにお仕事ができるはずもなく、対面で行なっていた講習もオンラインに変わり、テレワークも増えました。
そして考える時間も増えました。
家にいることが増えても必ず行くところがありました。
それはエステです。
ネイルもまつげパーマも美容室も、行かずにはいられませんでした。気持ちが落ち込んでも、エステに行った日は気分が上がるのです。私は思いました。
「こんな時代にこそ理美容は必要だ!」と。
リモートで人と会うのが当たり前に変わりだした今の時代でも、綺麗に見られたい。マスクをしている今の時代でも、目元のシワは消したい。女性の願いは変わりません。
そんな女性の永遠の夢を叶える手助けがしたい!そう強く感じ、アンチエイジング専門のフェイシャルエステをスタートさせることを決めました。
人間誰もが逆らえないこと。それは老化です。地球の重力には逆らえません。それでも少しでも若々しく、少しでも綺麗な自分でいられたら、、そんな女性の願いを叶える為にsee face があります。
気持ちが落ち込んでいてもここにきたら前向きになれる、幸せな気持ちになれる、自分に自信が持てる。
そんな場所にして頂けたなら、それ以上の喜びは私にとってはありません。
1993年9月8日大阪で生まれました。
兄、妹の三人兄弟の真ん中で育ちました。
小さい頃は目立つことが大好きで、鏡に映る自分と会話をしていたそうです(笑)。
そんな私を見て母は子役の養成所に私を入れてくれたのです。
↑幼少期です。
その養成所では表現をする楽しさを知り、気付いたら小1〜高3までの11年間も役者の卵としてお芝居をしていました。
当初は「お芝居で食べていけるようになる。死ぬまでお芝居を続ける!」と真剣に夢を追っていました。
子役から大人の人たちとお仕事をしていく中でお芝居の厳しさと素晴らしさをたくさん学びました。
↑子役時代、10歳の時です。
舞台森光子さん主演『放浪記』にて、森光子さんとのお写真です。
高校3年生になったある日のこと、兄の仕事の関係でたまたまエステ招待チケットを渡されました。
このエステの招待チケットが私の人生を大きく変えるなんて、この時は思ってもいませんでした。
人前に立つ仕事をする上で、肌はとても大切だと思い、生まれて初めてのエステを受けました。
「え?何これ?お顔をマッサージされるってこんなに気持ちいいの?たった1回のエステでもこんなにお肌って変わるんだ!」
私は感動しました。
初めての世界に触れて、少し大人になれた気がしました。エステを受けた帰り道、ずっとテンションが高かったのを今でもおぼえています。
当時の私はスキンケアには無頓着で、クレンジングすらしていませんでした。
このエステをきっかけにスキンケアというものを覚え、エステティシャンの言う通りにホームケアを行いエステに通い続けました。
ホームケアの時間も至福の時でした。ローションのフタを開ける瞬間や、お肌にハンドプレスする時のあの感覚。。。
エステに通う度に自分のお肌が綺麗になっていったのです。
りんごほっぺのように赤かった頬や、カサカサの乾燥肌がどんどん改善されていきました。
その結果、親や友人にも「なんか肌キレイになったやんな?」と、褒められるようになりました。
そのことがとても嬉しくて、気が付くとエステサロンに通うことが私の月一の楽しみになっていました。
変わっていったのは、お肌だけではありません。不思議と、考え方も変わっていったのです。
「エステティシャンってどうやったらなれるんだろう。私も女性のお肌を綺麗にしたい。女性の人生を輝かせたい。」そう強く想い、エステティシャンへの道へ進むことを決意したのです。
11年間、あれだけ必死に目指していた役者ではなく、エステの道にいきたいと思う自分の心の変化にはビックリしました。
兄が偶然渡してくれた招待チケットは、偶然ではなかったんだとも感じ、兄にはとても感謝をしています。
↑高校時代。1番右です。
その後、学校で認定エステティシャンの資格を取得し、21歳でエステティシャンデビューをしました。
お肌の悩みを抱えられていたお客様が来店される度に綺麗になられていく。
そしてこう仰ってくださいます。
「始めの頃と全然違う。化粧のりもお肌の触り心地もとても良くなって、嬉しい。ありがとう!」
その言葉が嬉しくて、エステティシャンになって本当に良かったなと心から思いました。
3年間エステティシャンをしていく中で、感じます。「お客様の為にもっとサービスをして差し上げたい。
こんな事ができれば、あんな事ができれば、、もっと喜んで頂けるのに。。。」そんな欲望が生まれました。
ですが、雇われている身としてなかなか思い通りには動けず頭打ちする状態でした。
「自分でお店をしたい!」そんな気持ちが芽生えてはいたものの当時はまだ24歳で経営ノウハウも自分に自信もない状態でした。
将来的にお店を出す為に学べる環境でお仕事がしたい。
と思い次に勤めたのが美容インストラクターです。
実際の販売員、エステティシャンの方へ美容の知識、販売方法、エステの手技などを教育するお仕事で先生と呼ばれる立場として人一倍学ばせて頂きました。
エステティシャンの頃だけでは学べないことを学ぶ事ができ私にとって大きな財産となりました。
↑22歳エステティシャン時代です。左です。
そして2020年、日本にやってきたコロナウイルス。
今まで通りにお仕事ができるはずもなく、対面で行なっていた講習もオンラインに変わり、テレワークも増えました。
そして考える時間も増えました。
家にいることが増えても必ず行くところがありました。
それはエステです。
ネイルもまつげパーマも美容室も、行かずにはいられませんでした。気持ちが落ち込んでも、エステに行った日は気分が上がるのです。私は思いました。
「こんな時代にこそ理美容は必要だ!」と。
リモートで人と会うのが当たり前に変わりだした今の時代でも、綺麗に見られたい。
マスクをしている今の時代でも、目元のシワは消したい。女性の願いは変わりません。
そんな女性の永遠の夢を叶える手助けがしたい!そう強く感じ、アンチエイジング専門のフェイシャルエステをスタートさせることを決めました。
人間誰もが逆らえないこと。それは老化です。地球の重力には逆らえません。
それでも少しでも若々しく、少しでも綺麗な自分でいられたら、、そんな女性の願いを叶える為にsee face があります。
気持ちが落ち込んでいてもここにきたら前向きになれる、幸せな気持ちになれる、自分に自信が持てる。
そんな場所にして頂けたなら、それ以上の喜びは私にとってはありません。
↑美容インストラクター時代。
この写真は今年です。オンラインイベントでのショット。